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2023.07.26.

まっちゃん部長日記 part12

松瀬部長のコラム「まっちゃん部長日記」part12を更新しました。

ぜひご覧ください。

 

『1部復帰へ。現役、大学、OB会の三位一体で~日体大ラグビー部創部90周年の集い』

 

おお、おお、ニッタイ♪ ニッタイの勇者♪ 日本体育大学ラグビー部の『創部90周年を祝うOBの集い』が7月22日、都内・世田谷区の日体大キャンパスのレストランで開かれ、ラグビー部の部歌が響きわたった。約60名のOBのほか、現役部員の幹部も参列し、脈々と続く日体大ラグビー部の営みを祝った。

 

◆OBの柴田紘三郎さん「やればできる」

 

 長年監督を務められた柴田紘三郎さん(1966年卒)はスピーチで、かつて指導した学生たちを「戦友」と表現した。言葉に魂が宿る。

「恩師といわれていますが、私は彼らを戦友だと思っています。共に戦った。勝った時も負けた時も、(部員が)夜逃げした時もあります。でも、いつも必死。ほんとうにいい人生でした」

続けて、「やればできる」と現役部員に熱いエールをおくった。

「やってできないことはない。日体大には日体大のラグビーがあっていいじゃないか。周りをマネする必要はない。OBの方々も、是非とも、戦友として現役を激励してほしい」

 

◆正式創部1933年も、1899年頃から活動

 

 正式な創部は1933年。ただ、来賓として参列した石井隆憲学長によると、日体大の前身の体操学校時代の1899年頃にはラグビーの活動が行われていた記録があるという。1899年といえば、日本のルーツ校の慶大にラグビー部が誕生した年である。石井学長は祝辞で、「日体大も非常に古くからラグビーをやっていたのでしょう」と言い、こう言葉を足した。

 「私の学生の頃は、日体大などの4強時代でした。何度か応援にいったことを覚えています。今日はみなさん、旧交を温めください。また、ご指導ご鞭撻をお願い致します」

 続いて、運動部を束ねる学友会の水野増彦会長が乾杯の音頭をとった。「早く1部に昇格していただきたい。かつて日体大の箱根駅伝優勝のあとに天皇杯ラグビー(日本選手権)で優勝したこともある。そういう時代がまたくるように。心を込めて乾杯!」と。

 

 ◆創部の年生まれの90歳の本多聖さんも

 

 この日は、ラグビー部創部の年に生まれた90歳の本多聖さん(1957年卒)やOB会の山本征治顧問(1961年卒)、鈴木祐司名誉会長(1970年卒)、西坂啓二会長(1972年卒)らの役員ほか、日体大の黄金期の主将で、帝京大の黄金時代も築いた岩出雅之さん(1980年卒)らの名指導者も出席。全員が短く、マイクを持ってあいさつした。室内の熱量が上がった。

 日体大は、1969年度、1978年度と2度、全国大学選手権で優勝している。1969年度には日本選手権も制した。戦績の浮き沈みはあれど、輝かしい歴史は、その年、その年のラグビーに関わった人々の営々たる努力の集積であり、流した汗の結晶であった。

 とくに日体大ラグビー部は人をつくってきた。高校、大学の指導者を多数、輩出してきた。つまり、日体大ラグビーが日本ラグビーの礎をつくってきたと言っても過言ではなかろう。だから、日体大ラグビー部が強くないと、日本ラグビーの発展は難しくなる。

 

 ◆秋廣監督「ことし1部に上がる」

 

 筆者は部長として、この輝かしい歴史を持つ日体大ラグビー部の部長となったことに、ご縁を感じると共に、責任、覚悟、そして誇りを抱くのだった。

 祝賀会の最後、秋廣秀一監督らスタッフと現役部員幹部が会場の前に並んだ。秋廣監督はこう、あいさつした。

 「90年という歴史ある、重み、伝統あるラグビー部を、私がこのタイミングでかじをとらなければいけないことに対し、非常に重い責任を感じています。目標として、ことし1部(対抗戦Aグループ)に上がるということしかありません。チームをフルモデルチェンジして絶対、対抗戦1部に上がります」

 続けて、伊藤拓哉主将。

 「対抗戦A昇格に向けて、部員一同、全力で戦っていきたいと思います。引き続き、熱いご声援ご支援、どうぞよろしく、お願い致します」

 ハートフル、かつアツい、アツい祝賀会だった。日体大ラグビー部の復活は、スタッフ&学生部員、大学、OB会の三位一体のがんばりしかあるまい。

(松瀬学)

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