HISTORY
主な歴史
-
1893年(明治26年)
前身の体操練習所開設
-
1901年(明治34年)
日本体育会体操学校遊戯倶楽部がラグビーの「実験」を開始(1899年にその実験が行われた可能性がある)
-
1933年(昭和8年)
ラグビー部(日本体育会体操学校研究会ラグビーフットボール部)に昇格し関東ラグビー蹴球協会に加盟
-
1937年(昭和12年)
深沢(現東京世田谷キャンパス)にグラウンド移転
-
1950年(昭和25年)
日本体育大学学友会ラグビー部に名称変更
-
1954年(昭和29年)
「チャンスの像」完成 ※1
-
1957年(昭和32年)
世田谷区深沢に合宿所新設
-
1977年(昭和52年)
健志台運動施設(現横浜健志台キャンパス)にラグビー専用グラウンド完成、健志台学生寮開設
-
1979年(昭和54年)
合宿所(横浜市青葉区鴨志田町、現ラグビー部合宿所所在地)建築
-
1983年(昭和58年)
ユニコーン・エンブレム作成、現行部歌制定 ※2
-
1987年(昭和62年)
ラグビー場、現在の場所に移動し新設
-
1996年(平成8年)
合宿所建替え
-
2013年(平成25年)
ラグビー場人工芝に改修
- ▶︎ 詳細は「チャンスの像とともに」不昧堂出版(1987年)に掲載されている
主な戦績
-
1957年(昭和32年)度
第8回全国新制大学大会 優勝
-
1969年(昭和44年)度
関東大学対抗戦 優勝/第6回全国大学選手権大会 優勝/第7回日本選手権大会 優勝(王冠エンブレム作成) ※3
-
1970年(昭和45年)度
第7回全国大学選手権大会 準優勝
-
1978年(昭和53年)度
関東大学対抗戦 優勝/第15回全国大学選手権大会 優勝/第16回日本選手権大会 準優勝
-
1983年(昭和58年)度
関東大学対抗戦 優勝/第20回全国大学選手権大会 準優勝
-
1989年(平成元年)度
関東大学対抗戦 優勝/第26回全国大学選手権大会 準優勝
-
1995年(平成7年)度
関東大学対抗戦 優勝
-
■日本選手権大会
優勝1回 準優勝1回
-
■全国大学選手権大会
優勝2回 準優勝3回
-
■関東大学対抗戦
優勝5回
チャンスの像 ※1
「トライゲッターより、チャンスメーカーたれ」
1954年(昭和29年)建像の東京世田谷キャンパス正面にある競技者の銅像。ラグビー選手がパスを出そうとするところを表現したこの像はチャンスと命名(命名者は初代学長 栗本義彦)されている。「ポイントゲッターになるよりも、チャンスメーカーになれ」、「トライゲッターより、チャンスメーカーたれ」という言葉はラグビー選手のためのフレーズであるが、ラグビー以外の学生にも当てはめた標語を通して、日本体育大学が目指そうとしている教育理念を表明しようとしたものである。真のチャンスメーカーに徹する生き方こそが日体精神である。
ユニコーン・エンブレム ※2
ユニコーン(一角獣)を部のモチーフとし下部にJ.O.C.P.Fを刺繍しモットーとする。それぞれ「J-JUSTICE(正義)」「O-ORTHODOX(正統)」「C-COOPERATION(団結)」「P-PURITY(清浄)」「F-FRIENDSHIP(友情)」の意味を表す。 エンブレム下部に配置されている大学の校章でもある桜の大小デザインは、大きいものが日本選手権優勝を意味し、小さいものが大学選手権優勝を意味している。
王冠エンブレム ※3
昭和45年1月の日本一を記念して作製。上部の王冠は、この王冠を象徴する。下部には二重の横長のV字(Victory)と、日・体・大の三文字を図案化している。
部歌
碧き空 群青の海
これぞ我等が戦衣の標
いざ堂々の戦 挑まん
天空高く勇士羽搏け
雄叫びの声 空に充つ
闘いぬかん 我等は健志
おお、おお日体、日体の勇者